本:始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ

始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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を読んだ。

この本は、瞑想を科学的、技術的になぜ良いのか、また、そのためにどうすればよいのかをわかりやく書いています。

これまで、瞑想や禅について、モヤモヤしていたことが少し晴れて見ようようになりました。

瞑想は、あまり意味を持たない音のつながりであるマントラを唱えるのが何故よいのか説明しています。マントラは瞑想中の雑念を払拭するためで、わたあめ取りの割り箸のようなもので、浮遊している雑念を絡めとるようなものである、とたとえています。

瞑想の最初のポイントは、自分の思考が動くことを観察すること。それを、「観照(かんしょう)」という

人間の「思考」は様々な「欲」で動いていて、その欲で動いている「思考」を「牛(欲牛)」にたとえた説明。
1。もともと主人に従順な楽しい牛がいる。
(主人=自分、牛=思考する”頭”)

2.牛は物を覚えていく
(”頭”は学習して、それをプログラム化する)

3.次第に牛が勝手に動くようになっていく
(”頭”は獲得したプログラムに従って独り歩きを始める)

4.すると主人が不要になる。
(自分の本意と関係なく”頭”は勝手に思考するようになってしまう)

5.自分の人生が自分の人生でなくなる不幸の始まり
(自分の本意に反した思考や行動をとるようになってしまう)

6.そこで主人に返り咲くための工夫をする
(”頭”を自分の本意に従わせる作業)

7.牛を注意深く見張って勝手に動かさないようにする
(”頭”が勝手に動く様子を観察する<観照>)

8.今は不要となったプログラムは捨てる
(現在の自分の本意で判断できるようにする<再解釈>)

9.するともともとの楽しい牛に戻る
(自分に従順な本来の”頭”に戻る)

10.牛も自分も天国にいる至福を味わえる
(自分も”頭”も同じ幸福感に浸れる)

つまり、頭は本来の自分ではないのだが、いつの間にか、同化してしまっている。
瞑想は、本来の自分ではない「頭(思考)」を客観的に観察(観照)し、本来の自分を取り戻せることのできる優れた行為である。

瞑想のツボは、「観照」をマスターすること

「自分は考えている」と思っている「自分」は、プログラムに従って考えているもの=「自動反応」で、本来の「自分」ではない。

観照の要点は、頭の自動反応を放置しないこと

頭がしゃべっている言葉は、自分の考えではない
頭は過去に学習したことなどから、適当な文脈を相当早く大量に選択してつくっていきます(=プログラム)。しかし、それは、あくまで頭が作業し作ったセンテンスで、決して自分の考えではない。
「頭はセンテンスを紡ぎ出す機械であって、自分自身とは違う」

そのことに気がつけば、頭に勝手な行動をさせておくのは良くないことだとわかる。

「本当の自分」は、ただ観照しているだけで、「考える」ことはしない。「考える」のは「頭」。
「本当の自分」が何か考えたい時は、「頭」を使って考える。
「頭」は思考や判断の任務や機能を果たす機械のようなもの。

瞑想は、脳の作業領域を片付けること。

瞑想すると、「頭」が思考するために使用してた脳の作業領域がクリアになりリフレッシュされ、劇的にバージョンアップすることができる。

観照が上達すると、「またこの欲を引っ張りだしている」と「頭」の愚直な熱心さに思わず呆れるようになる。

どんな深刻なことも、それは単に「頭」にとって深刻なことだとわけて思うようになることができる。

後悔は「変えられない過去をなんとか変えたい」と無理なことを考えていり心の働きで、堂々巡りの状態になっています。
瞑想はどんな思考でも「追わない」という練習をしますから、たとえ「堂々巡り」の思考が起こっても、すぐにそこから脱出ができるようになります。

後悔は、「○○○すれば良かったのに・・・」という部分を「○○○しなかったから悪かった」に変更し、「後悔」を「反省」に変えて抜け出す。

心配は、「どうしよう」を取り除き、「その時になったら、考えよう」あるいは「その時になったら、対応しよう」に入れ替えて、考える時間の変更をして「頭」を納得させる。
奥の手は、「なるようになる」と思うこと。

怒りは、「自分の視点からではなく、違う角度からの視野を広げた理解(=「俯瞰理解」)をして、どう考えたら手早く「許せる」のかを自分のために工夫する。

脳は「欲」があれば、それを充足させようと「思考」します。「瞑想」はその脳の働く様子をチェック(観照)して、良好な状態に調整しようというもの。

いくら愛されても愛され足りない。いくらお金持ちになってもお金が足りない。いくら権力を持ってもまだ欲しい。そのようになった欲を「問題かした欲」という。

欲を「抑圧我慢方式」でできるようになることを「知恵の成長」といい、「消滅安寧方式」でできるようになることを「知恵の完成」という。
本当の人間の幸せのためには、「知恵の完成」が必要。瞑想は「知恵の完成」のための実践的な練習方法。
「知恵の完成」とは「愛の方向」に行きましょうということ。

日常の「観照」のエクササイズ
1.悪い気分、それはラッキーだと思う練習
2.批判の心をチェックする練習
3.人生を素晴らしくする練習と準備

「悪い気分」=「未充足の欲がある」ということ。「欲」を直ちに発見しようとする習慣を身につけましょう。
一度でもそれを確認できると、もう自動反応ではなくなり、二度と同じような苦しい気分になることはない。

「批判」瞬時の無意識に起こるので、注意深く意識しておきましょう。

ただし、自分に対し理不尽な扱いをしてくる人に、その態度の修正要求をするのは「批判」ではなく「要求」で、どう交渉するかの問題。

「人生は素晴らしい」を基本トーンとし、
検討し尽くしていない感覚があっても、それで「良し」と思うこと。
決して検討し過ぎないこと。
特に、未来・過去について検討し過ぎない。
大方の「不幸感」は、この検討し過ぎから発生する。
これが消えてなくなれば本当に「人生は素晴らしい」という実感に必ず繋がっていく。

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